2,幻影 上
太陽が二つある世界。だが、太陽の光が地表にたどり着く前に雲にさえぎられていた。
その世界で、老人が動揺している兵士から重大な報告を聞いている時、北の森では兵士と侵入者が出会ってしまっていた。
兵士の数は五、侵入者は一、普通ならば数で圧倒している兵士のほうが有利というより圧勝だ。
それは、相手が普通ならば……。
老人たちが北の森の草原に現れた時、すでに草原は草原ではなくなっていた。
周り10mは真っ黒くコゲている。コゲているというより、地面が熔けていた。そして所々に熔け切れていない黒い物体があった。数は五……かつて自分達を兵士と名乗っていた者だった。
そのかつて兵士だったであろう黒い物体の上や熔けた地面には、青白い炎が蛇のように獲物を探して動いている。ただ青白い蛇は熔けた地面の中心に立っている者に牙をむくことはなかった。
その者は、老人より頭一つ大きく、全身を真っ黒な鎧に覆われており、表情は判らなかった。左手には大剣が、使い手の身長ほどもあり剣の腹には蒼い宝石が龍の形をしている。しかし宝石は輝いてはおらず、酷く汚かった。
よく見ると真っ黒なはずの鎧は所々剥がれており青い部分が露出していた。それに気付いたのはただ一人だった。
その者はこの国の者にダークソルジャーと呼ばれ進入者とも呼ばれた。その進入者の前には、二人が怒りに体が震え握った拳からは血が滴り落ちており、一人は涙を流していた。
そして、侵入者はこの国に来て初めて声を出した。声からして男の声だ。それは死の声だった、生きている者は決して出す事のできない声、初めて聞いた二人には、二人の怒りの炎を消し恐怖を与えた。そしてなお一人は涙を流し続ける。
「紅蓮王よ……答えよ……白銀の片割れはどこにある……紅蓮王……お前の近くにいる事はわかっている……」
侵入者が見ていたのはたった一人涙を流す老人、紅蓮王だった。
「報告を聞いた時にはまさかとは思ったがな……わが友よ。大体の経緯はわかる。わしがその呪縛から開放しよう」
そんな思いもよらない言葉に恐怖に支配されていた二人はただ目を丸くするしかなかった。
「俺は……わかっているぞ……お前が――す――白銀の……片割れを――ま――知っている……事も――な――さあ……俺に――い――教えろ」
侵入者の死んだ言葉からは、かつて紅蓮王の友の声が混ざっていた。
「気にするな、友ではないか」
そう言った後、今度はカインに、顔は前を向けたまま小声で話しかけた。
「カインよ、すまないが59番の補助詠唱をたのむ、いつでも発動できるように」
「え……? 59番ですか? 無詠唱でおこなってもよろしいのでは?」
色々起こってしまって頭がパンクしているカインに紅蓮王は優しく教える。
「あいつはわしの結界をすり抜け国に進入したのじゃ。何故か判るかの? あいつ……わしの友、かつて戦神とも呼ばれた王だからだ。だがその戦神はすでに死んでしまっているが……」
つらい一言を言い終えると、紅蓮王はかつての戦神、今はただの侵入者に向かって歩き始めた。
侵入者は紅蓮王が話している間も、近づいてくる間も身じろぎ一つすることはなかった。
ついに紅蓮王は立ち止まった。そこは、互いに手を伸ばせば握手ができた。むろんそんな事はしなかったが。
そして二人は無言のまま互いを見ていた。そして、沈黙を破ったのは侵入者だった。先ほどいった言葉とまったく同じだった。しかし、そこには友の言葉はなかった。
「俺は……わかっているぞ……お前が白銀の……片割れを知っている……事も、さあ……俺に教えろ。さもなくば……」
そう言って少し大剣を持ち上げる。そこに明確な殺意が込められていた。
しかしそんな脅しは無視して、紅蓮王は友に話しかける。
「そういえば、わしとお前が始めてあったときは、私が死にかけていた……そしてお前が助けてくれた。今度は私が助ける番だな……。すまない私が力不足なためにこのような方法がなくて……本当にすまない」
紅蓮王は2度謝った。しかし、侵入者は微動だにしなかった。両者は無言のまま互いを見続ける。そして最初に動いたのは侵入者だった。大剣を目にも止まらぬ速さで紅蓮王に向けて持ち上げる。
だが大剣は、肉を切る事はできず、空を切るだけに終わった。
それでも侵入者は振り上げた体勢から半ば強引に、だが正確に紅蓮王に向けてまた大剣を振るう。空を切り裂く音、叩き付けた大地から巻き上がる灰。しかし大剣が血に染まる事はない。紅蓮王は紙一重で、そして余裕の表情で攻撃をかわす。決して紅蓮王から血が滴り落ちる事はない。そして、侵入者に攻撃をする事もなかった。
それでも侵入者はあきらめる事もなく、紅蓮王にとってはただの鉄の塊を振る。
そんな別次元の世界を見せられた兵士には、何もすることがなくただ呆然と見ている事しかできない無力感に包まれていた。そしてカインには必死に呪文を唱えることしかできなかった。
カインがようやく呪文を唱えきった時、紅蓮王は初めて侵入者から離れ、侵入者も攻撃を止めた。
「準備は整った」
紅蓮王はそう短く言うとローブの中に手を入れる、そして一本の刀を取り出した。長さは老人の背丈に匹敵しており普通はローブの中に隠しておく事などできない。だがそれを疑問に思う事のできる冷静な人物は、周りにいるはずがなかった。
刀は紅い鞘に収められており、そこから抜き取られた刀もまた紅かった。全体が紅いわけではなく刀の刃紋が紅く波打っている。そして紅蓮王は突きの体勢に入り、全体重をかけ前に駆け跳ぶ。
勝負はすぐに決まった。
侵入者は体格からはかんがえられない超反応を見せ突きをかわしそのまま紅蓮王とぶつかった。体格差から紅蓮王が吹き飛ばされてもおかしくなかったが、不思議なことに両者は密着する。
今や紅蓮王と侵入者は目と鼻の先にあり互いに見つめた。ただ侵入者の方が大きかったため紅蓮王は見上げる形になっている。
するとおもむろに侵入者は自分の口に当てていた鎧を取った。そこにあったのは予想したとおりの光景がひろがる。
紫に変色した死人の唇、枯れ果てた髭、大きく開けられた口の中は無限の闇を持っていた。
常人は異常な光景と異常な悪臭で、よくて吐いて、悪くて失神してしまっただろう。だが紅蓮王は動じることなくその紅い瞳にその光景を焼き付けた。いくら見ても決して瞳に生気の光が灯ることはないのに。
無限の闇が広がっていた口の中に一つの光が宿った。光は希望の光ではなく絶望を思わせる青白い光だった。次第にその青白い光は大きさを増していく。だが無限の闇を照らしているのに、闇は一向に弱まる事はなかった。なのに青白い光は大きさを増していった。紅い瞳が青白い光によってハッキリと紫色に変わったとき、青白い光は青白い炎となり牙をむく。先ほど五人の魂を喰った青白い炎だった。それでも紅蓮王は瞳をそらす事はなかった。
そして紅蓮王は青白い炎に喰われた。悲鳴を上げる前に、喉が高温によって穴が開き声を出す事ができない。そして青白い炎は喉から体内に入り内部から紅蓮王を熔かしていく。頭はすでに半分熔けていた。やがて紅蓮王は五人の兵士と同じく熔けた黒い塊になり死んでしまった。誰が見ても死んでいた。
兵士は崩れ去った。涙すら出ず、目の前の光景が瞳に映る。ようやく兵士の脳が目の前の光景を処理した時、嗚咽がこみ上げ、拳を地面に叩きつけた。それは、自分の弱さに腹が立ち、何もできない無力感に腹が立ち、紅蓮王が死んだことを受け入れた自分に腹が立った、そんな感じだ。
そこに本日二度目の、兵士を思う手が肩に置かれる。その手は城の中で兵士をきずかった、カインの手だった。その手を涙でグシャグシャになった兵士の顔が見て、手の一直線上にあるカインの目と目が合った。
そこには、まだ希望を捨てていない自信満々の顔が兵士を見つめていた。
「まだ地面に跪くのは早いぞ。私たちの王を信じよ。兵士はいかなる時でも屈してはいけない」
カインなりの慰めを受けても、兵士の瞳から体内の水が止まる事なく流れ続けた。どうしようもない現実にまた目を向けた。何度見ても変わらないはずの現実を見た。
黒く熔けた死体、生前に紅蓮王と呼ばれた人の死体。黒く熔けた死体の前には全身を真っ黒な鎧に覆われており、口の周りの鎧だけが取れている。左手には大剣が、使い手の身長ほどもあり剣の腹には蒼い宝石が龍の形をしている。しかし宝石は輝いてはおらず、酷く汚い大剣を持った侵入者がいるはず。
跪く前は確かに一つの死体と侵入者だけだった。しかし、もう一度見た現実は変わっていた。
死体がない!ドロドロに熔けて地面に染み込んだわけではなく、完璧に消えていた。そして侵入者の右手に見慣れた人物がいた。黒いローブに包まれ髪の毛は真っ黒、残念ながら瞳はこの距離からでは確認できなかった。だが、兵士が思っている瞳に間違いはないだろう。そして左手には刀を持っている。刀はローブに包まれた者の背丈に匹敵し、刀全体が紅く見えている。
まさしく紅蓮王だった。
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